ザ・シークオレが最も好きだったレスラーについて書こう。まずは何といってもプロレス史上最高のヒールだったザ・シークについて。 ザ・シークは1928年生まれとされているから、日本初来日の72年当時で 既に44歳。やや盛りが過ぎての来日の感があるが、ブッチャーと組んでドリー・テリーのファンクスとの抗争を繰り広げたのはファンでなくても記憶に残るシーンである。 しかし、日本のプロレスファンはザ・シークの全盛期のファイトを知らない。 全盛期はやはり60年代のボボ・ブラジルとの一連お抗争。これはデトロイトのみならず、全米屈指のドル箱カードだった。また、WWWFチャンピオンのブルーノサンマルチノにKO勝ちしているし、ジャイアント馬場もロサンゼルスでのインター防衛戦でも相当苦しんだ。 シークの魅力はアメリカではハードコアといわれるラフファイトにある。 若い頃は間接技主体の正統派レスリングを展開していたが、凶器攻撃を中心に流血試合を展開し相手をグロッキーさせておいてからキャメルクラッチでギブアップをとるという勝利パターンを築いた。 シークは徹底的にヒールを演じた。日本初来日の時も、少年ファンがサインを求めて差し出したそのノートを引き裂いたり、アラビアの怪人というイメージを維持するため、英語は一切話さないほど徹底していた。 あのフレッドブラッシーすら、シークと対戦するときはベビーフェイス(いわゆる善玉レスラー)にならざるを得なかったほどである。 そのシークも2年前に他界してしまった。 名レスラーは数多いが、シークのようなヒールとしての名レスラーは 他に見当たらない。 |